本日の日記:2022-07-05:何を自分でやらないで後輩に頼むか悩む他

書いていく

目次

頼むこと

後輩たちの実験技術が上達してきて

研究の作業を分担できるようになってきた。

大変良いことだと思う。

しかしどれだけ分担するか塩梅を決めるのが大変、難しい。

勉強のためにやって欲しいようなお願いが

私が手を動かしたくない怠慢と受け取られかねないか心配だ。

チームで研究している以上みんな違ってみんな良いという共通意識でいて欲しいと

私は思っている。

それは私自身に対してもそういう意識でいて欲しいと思っている。

なので、そう、心配している。

正直これは私の分担の仕方や頼み方が下手なだけ

つまり私が無能…とまでは言い過ぎか。苦手なんだと思う。人に物を頼むというのが。

昔から一人で大体なんでもできた。一定レベルはできた。

それで満足していたからそれ以上成長もしなかった。

なので、今こうなっている。

映画「めがね」を見た

めがね 予告編

友だちのオススメで見た。

必要なコマやセリフ以外は全て削ぎ落とした、何というか、

見る、うまい出汁。という感じで

生きる、ただそれだけを描いた

どちらかというと叙述描写しか無い映画だった。

何も考えずに見て欲しい。

終始淡白な印象を受けるかもしれない、けど、これはこれで良い作品の形だと思うよ。

このブログを続ける意味

今は、編入後の私を文章越しに色々な人へ伝えたいから、だ。

技科大や(北海道であれば)室工大や北見工大への編入でなければ、

普通、元いた高専の同期はいない。

当然

高専の先生や部活の後輩もいない。

私みたいな人でも、ふと

「あいつ今何してるんだろう、生きてるんかな」と

誰かに一度は思われているはずだ。

その時に、私に直接聞かずとも、

ここに来れば何をしているかわかる。

ここに来れば生きているかどうかわかる。

そんな役割がこの編入ブログにはある。

実際、編入学試験でお世話になった物理の先生なんかは

連絡先を聞く前に退官されてしまった。

人に認められるために

北大の合格を知った日から今年の3月まで

“全て”を成長に賭した。

得難い多くを得て、失い難い多くを失った。

失ってからその大事さに気づいたものも多い。

今は得たもので仕事して飯を食って、余暇で失ったものを取り戻している。

現状はそう。

人生まさしくNoMaps

私は今まで優しすぎた。

私を他人を組織を傷つけないように

私の色々な

醜い好きや譲れない嫌いを人に伝えてこなかった。

自分勝手に生きることがきれいだと思えなかった。

耐え難きを耐える姿が美しいと思っていた。

だけどそれは辛すぎた。

自分の好き嫌いがぐにゃぐにゃ曲がって絡み合って

好きも嫌いも、よく分からなくなった。

でもこれからは伝えようと思う。

他人や組織は身勝手に傷つけられても頑丈であった。

傷つけられる前提で作られていた。

ま他人は本当に人によるからよく観察してから傷つけるか決めるけど…

また

私の感じていた美しさには疲れ果ててしまって

もう美しいと思えなくなった。

良いと思う。

ドグマは変わって良いと思う。

確認の文章でした。

さあ

寝よう

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