それは、自分が生きている間に死んでしまうかもしれない、からです。
書いていきます。
概ね作品と呼ばれる映画や小説、舞台等々が
真に伝えたいことは以下の通りだ。
- 自分は一人じゃない。
- 自分はもっとできる。
- 期待してくれている人がいた。
- ものの見方を変えよう。
これらはバッドエンド、ハッピーエンド共にです。
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こう伝えたい気持ちはわかる。
大切なことのはずなのに、日々の忙しさに埋もれて忘れてしまうからです。
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数の面では
他人がいたことに気づけた的なことは
非常に多い印象がある。
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しかし、私はこうも思うのです。
他人は、どこかに行ってしまったり、死んでしまったりしてしまうじゃないか、と。
つまり、友人や恋人、果ては家族までもが”期限付き”じゃないかと思うんです。
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もちろん、心の中で生き続けるという話はあるが
あれは、生き続けてなどいない。
むしろ思い出せる範囲の当人を切り取って心で飼い慣らしているに過ぎない。
真に事実として生きてはいない。
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そう考えると、自分を好きになる、そして神を信じるということは
大変理にかなっているように見える。
だって、自分がいると知覚した瞬間から存在して、自分がいると知覚しなくなった瞬間から存在しなくなるから。
都合が良いかもしれないが、そこに期限はない。
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また自分の好きなように解釈することもできる。
研究をする自分を、
クリエイティブな自分と捉えることもできるし
俗世から離れて暮らすゴミな自分と捉えることもできる。
また神も、神話や伝説を根拠としながらも、伝記に書かれていない神の心象を
察する(という名の邪推)ことで
勝手に教訓を作り出すことができる。
その点でも、自分を信じるなり、神を信じるというのは合理的と考えています。
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なので宗教には興味はある。
でも今の所何も信じてない。
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自分が信じられる神をまだ見つけられてないからです。
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おおよその目星だけど
キリストは難しいんじゃないかな〜と思っている。
八百万の神がいる日本で暮らしてきたから
唯一神という考えに馴れない。
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そうするとイスラムか仏教になるがここの精査はこれから。
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へ〜〜買い物でも行きますか。