書くよ
目次
序論
せっかく東京にいるので
いろんな人に会っている。
高専の時のラボメン
今の研究室のOB/OG
単身赴任で東京にいる父さん
滞在先近くにあるご飯屋さん
ネットの友達。等々。
一人一人
全く異なる背景と心情を持って生きていた。
そんな中でも今回はネットの友達に注目して書いていきたい。
ネッ友
今回はネットの友達の中でも”非アカデミアの人たち”に注目する。
彼ら(彼女ら)と私の間には、いわゆる”ヒトカラ”好きという共通の趣味があり、
裏を返せば”ヒトカラ”好きという事しか共通した事柄は無い。
ただカラオケという特性上、アニソンやドラマの主題歌も歌うことがあるため、カラオケを聴いていれば自然と、カラオケ以外の趣味も知ることになる(し伝えることになる)。
今では、恋愛小説や美味しいお店の情報を送り合う仲の人もいる。
しかし一方で、そのような仲の人とも、実際に会うと反りが合わない、という事も少なくない。
不思議なものよほんと。
端末上のアカウントが書く文章と、そのアカウントを操作する目の前の人の言葉の、質が一致しないのよね。
但しこの現象は良い方向に働く事もある:文章は拙いけど会ってみると饒舌で思考も深いケース。
特に悲しいのは、人としての強度が思ったより弱い時だ。
ここまで来たらライン越えという基準を強く持っていて
どのような状況でも基準を適用できる芯の強さ。
これが、例えばお酒の飲み過ぎでフラッと揺らいでしまう。
そういった場面を見てしまうと、失望する。
そもそも他人に望みなど持ってはいけないと思うのだけど
望みに近い希望的推測が無ければ、他人に対する興味は湧かず質問することができなくなるから
まぁそこは仕方ないのか、今の段階では。と思う。
さらに深く
ネッ友を作るきっかけは、D進と同時に彼女さんと別れたことだろう。
うちの研究室はD進”を決めた”途端;M1の冬ぐらい、からずっと定常的に忙しかったから
D進した途端に忙しくなるとかは無かったけれど
それでも心の支えを失った私にとってSNSは拠り所の一つとなった…
と
いう経緯がある。
つまり、心の支えがほしかったのだ。
当時はすぐにでも支えが欲しかったからジャンキーに色んな人と連絡を取った。
北は北海道、南は沖縄
齢も18から40近くまで
色んな人と喋り倒した。
中には恋愛関係まで発展した人もいて半年程度交際した。
他方、ネット由来ではない交友関係に目を向けると
すでに様々なパスで交友関係を持っている;SNSよりも圧倒的にリアル世界の関わり合いの方が深い。
まず心をしんどくさせている研究に関して深く理解する人が爆増した。
代表的なところで言うと後輩が挙げられる。
後輩らから投げかけられる労いの言葉は、負荷の詳細を身をもって共有しているため、大変身に染みる。
他には奨学金を受給している同期の博士や、講演会で知り合った文系博士の奥さんもいる。
※彼ら(彼女ら)は半導体光スピントロニクスを知らないが同じ博士学生として同類の辛苦を味わっている。
学外にも
ちょい悪お茶目店主が営むアウトドアバーや、
激うまカクテルが楽しめるオシャレカフェ、
空間は硬派なのに店員は皆軟派なシーシャバーなどなどなど。
顔馴染みのお店も多くできた。
さらに彼女さんについてもマチアプで探している。
つまり、総括としては、心の支えは構築済、ということである。
問題はここにある。
最初のSNSの目的;心の支え、は現実世界で十二分に達成されたのに、当時と同じ熱量でSNSをしていることだ。
きっと多分、SNSをやる目的が途中から
心の支え→??
に変質したことを(意図してか)認識しなかったんだと思う。
うむ
付け加え
結局私は方針や矜持なしに生きる人や
方針や矜持はあるのに、それに沿った行動ができていない人を
人として見られなくなったんだと思う。
母や周囲の人たちが倫理的に気高かったおかげかと思っている。
ここで一つ注意しておきたいのは
“非アカデミアのネッ友”にもアカデミアのネッ友や研究室のメンバーに匹敵する
高い論理性を持った人は結構いたことだ。
これに学歴や偏差値は関係しない。
全く。
専門知識さえ与えれば学振ぐらい直ぐに取れそうなぐらい。
私が交流したいのはこうした人だ。
まとめ
ここまでこう書いてきた事は全て
私が相手を見た場合だった。
人間同士のコミュニケーションは双方向であることを考えると
相手が私を見る場合も考えなきゃならない。
ただ基本的に見るポイントは相手も私も相違はないはずだから
以上の議論はそのまま援用できるはずだ。
今度また思い立ったらその辺り書いていこうと思います〜
じゃ〜な〜