本日の日記:2022-12-27:コースの編入生が全員うちの研究室を志望した他

書いていくよ

目次

コースの編入生が全員うちの研究室を志望した

先日

学部3年生の研究室配属があった。

もうそんな季節かーと思っていたら

配属された4人のうち2人は編入生ではないか。

いやはや

びっくりした。

まずコース(クラスに相当)に編入生は2人しか居ない。

特に決まりが変わっていなければ今もそのはずだ。

そしてその2人が同じ専門に興味を持つことは稀だ。大体別の研究室に行く。

ただ、確かにうちの研究室は高専出身者が多い。

  • D1(私) 1人 本科から
  • M2 1人 専攻科から
  • B4 1人 本科から
  • さらに来年度に院試を受験する専攻科生もいる

一人は来てもおかしくないかな〜とは思っていた

二人とも来るとは。

適切の見つけ方

生きていて

嬉しいことが多すぎる。

能力が評価されたり、趣味を楽しめたり。

人生が楽しい。

良いじゃん。

うん…….。

うん。

そのはずなんやけどなあ。

身に余る幸福、と思ってしまうんよなあ。

こういう時は

自身の預かり知らないところで歪みを蓄積してしまっていることが多い

見たくない知りたくない

臭いものに蓋をして生きているということ。

不思議だけど。

。。。

作品に没頭すること=物語の主人公を自分以外にすること

本当にありがたいことに

公私共に褒められることが増えた。

その弊害として

一人でいるときリラックスできなくなった。

常に注目を浴びている感覚に陥った。

普段の生活も誰かに見られているような感じ。

普通に精神疾患な気もするけどドクターじゃないので分からない。

しかしこうすることで打開できた。

作品を読んだり見たりすることだ。

創作物よね。

映画、絵画、音楽、文章、動画。

これらを見ているときは、思考の矛先が自分に向かないので、時間があっという間に過ぎて

気づいたらお腹が空いてご飯を食べて家事が出来て寝ることができる。

人間、

する事がないとロクなことしか考えない;リラックスできない等。

けれども創作物を消費すれば”している”ことになるから

自分について考えることはない。

もちろん創作物については全力で考えることになるが

自分ではない他の物なので、分からない場合に投げ出す事ができる。

その点でも創作物は良い。

自分のことは投げ出したら死んじゃうからね。

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