人文科学に触れた1年。

早いもんだ。

ついさっき北大OLCに入部して

ついさっき研究室配属された気分なんだよ。

ましかし

時間は残酷で2年経ってしまった。

この間していたことの一つに教職課程を履修していた。

今までのまとめ的に、書いていこーかな。

目次

文系、馬鹿にしてすまん!!!

その、僕はですね。

文系というのは、当ての無いことを口走る学問かと思っていたんです(マジですまん)。

だって、人間なんてアルティメット多体系じゃん!!!

論理的に解析なんてアルティメットNNでも出来ないと出来ないしょ!!!!

と思っていたからです。

あぁなんとまぁ度し難い魚でしょう…

しかしです、冷静になったんです。

私たち実験屋さんだってアルティメット多体系を扱っているじゃん。

って。

おぉやっちまった。なんたる矛盾。

実験科学と人文科学

考えてみれば実験科学と人文科学の調査手法って似てるんです。

実験科学の対象物って自然なわけね

生物・半導体・宇宙…

で、なぜやるか、法則性を見つけるってことなんさ。

だからさ最終的には数学のお仕事なんだよ。

一般化して分類する。

だけども今それを全部に適用はできないから、温度・圧力etcの外からの刺激を変えて観察して、法則のかけらを掴んでいく。

それが実験科学。

対して人文科学の対象物って人や人の作った物なわけね

人自身・文字・教育…

で、なぜやるか、人間が普遍的に持つ物の発見なわけさ。

だからさこれも究極的には数学のお仕事なんだ。

人を分類して、最大公約数を発見して、分類する。

だけども今それを全部に適用はできないから、文献比較・歴史比較etcの人からの生産物を観察して、法則のかけらを掴んでいく。

ね、案外、変わらんもんでしょ。

そして人は変わり教育も変わる

だけどね、人文科学の場合その研究対象「人」は時間と共に変わってしまう。

これは大問題だ。

自然科学で言えば、昨日はA+B=Cだったものが

A+B=Dになってしまう

困る、とても困る。

文部科学省の「人文学および社会科学の特性について」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/015/siryo/attach/1343167.htm

にも同様の記述がある。

人文科学の一分野である教育にも同じことが言える。

教育は昔、フリースクール札幌自由が丘学園の授業体系のような

少人数教育がメインであったが

産業革命によって、一人あたりの子供の数が増え

現在の授業形式になった。

この間子ども達の心象は変化し続けた。

産業革命以前は周辺社会との関わりが多いため、周囲の目に気をつけなければいけなく

産業革命以降は逆に、世間との接触機会が減り、周囲の目は気にしなくて良いが、社会の一員である実感が沸きづらい状況となった。

これに優劣はない。ただそうなった、と言う事実があるだけだ。

….と言う難しい話ができるようになりました

結論はこれだと思う。

文字に対する抵抗感が減って、文字が表現ツールの一つになった。

インターネットは未だに活字メディアだし

企画書や論文もやっぱり活字メディアだし。

意外に活字っていっぱいある。

楽しいし、奥深いぜ。

まとめ

教職課程を履修し始めて1年が経ったので

元ど理系高専生が人文科学をどう思っているかを記事にしてみました。

同じ学術体系だもの、偏見はやめてみんなニコニコしようぜ。

そいじゃっまたのんっ

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