アカデミックのポスト(アカポス)の話をしたので
書いていきます
北大の助教の平均年齢を知っているか、46.6歳(令和元年)だよ

予想の10歳ぐらい上だったと思う。
またその年齢構成も50,60近い人と若い30代で二極化している(助教の最高給与が教授の最低給与とほぼ同じ)
若い方は良い。問題は爺さんの方だ。
昔の、論文が出さなくても研究者はOK!という時代の考え方のままの人たちだ。
もちろん家族もいるし、何より契約書に論文を書かないとFiredするという文言はない。
だからこそタチが悪い。
もし690万の人が辞めてくれれば若い未来ある助教を2名ぐらいは雇用できる。
彼らは任期付きだろうから成果も出す。
大学にとって良いことに思う。
という酷なようで戦国大学時代では当たり前なことを喋ってた
ただ、よく分からない。
これが正しいかは。
論文も科研費も取ってこないのは今は悪だけど
それが知の集合体としての大学のあるべき姿なのかとも思う。
(知の集合体なら論文書いて社会貢献しろって話だけど…)
論文書く以外の何かでも良いんじゃないだろうか。とも思う。
例えば母校には編入物理の師がいる。
師は、高専の激務で論文をほぼ出せていなかったが最近論文を2報も連続して出した。
論文という側面では残念な感じだが、
日々の授業と編入指導がすごかった。
多くの編入学合格者を生み出し、そのうちの一人は国立大の助教になった。
そういう意味での貢献も、知らないだけで、あるのかもしれない。
分からない…
主は思う。
爺さん達は爺さん達の言い分もあるだろう。その立場になってみないと、分からないからな….