こんにちは。
描いてきます
目次
息をするように思考して病んでいく
頭を使うことが好きで今研究をしている。
得意ではないと思っているが、周囲の評価は高いので今こうして研究の世界に身を置いている。
しかし自分の思ったことは上辺では変えたつもりでも奥底では自分が納得しないと変わらないことが多い。
なので頭を上手に使う方法を模索し続けているが下手くそに頭を酷使するせいで疲れてしまう。
頭の中を空っぽにすることはできても頭の中から湧き上がる思考が止められない。うるさいんです、ずーっと
自律
自律した人間になろうとしているのですが最近私の思う「自律」は極端なのではないかと感じてきました。
というのも趣味に没頭することができなくなってきた。(…こんな無意味なことをなぜしているんだ)と思う。
自分のご機嫌取りを自分で出来る人間を、少し前の私は「自律」と考えていた。綺麗じゃありません?自身で完結した人間って。
今もまだ少し思う。
ただ、敬愛する友達とゆったり話す機会があってからは少し丸く(笑)なった
友達は私より二回り近く上の人で律した精神を持つ素敵な方(Aさん)だ
カフェでお話をしている時、私が「誰でも良いから相手して欲しい日とかあって、自律してないな〜って思うんですよね…」というと
お相手は「そういう時もありますよね、社会性動物ですから。」といった。
言った内容自体は普通だ。普通。でもAさんの口から聞くとは思わなかった。
こんな方でもそういう時があるのか。
私の中で、嫌いな「人間そんなもんじゃない?」という安易な結論が、私にしなよと手をこまねている。やめろ。君は嫌いなんだ。来ないでくれ。
だが私の好きな精神を持つこの人でそう思うなら私もそう思っても…と思ってしまう。
無思考とは怖いものだ。
好きなことだけしていると不安になる、苦しまなくて良いのだろうかとなる。
今こうして書いているブログなど
上手でなくても許容される余暇になされる行為たちを
私は真に楽しめていない。
下手さに愛嬌を感じないというか、人から褒められないと楽しいと感じなくなった。
(これは前の章で言っていた自律とは逆なので、吐きながら直している)
うつの兆候な気はしていて、調べると色々出てくる。
決断をしないとか、うつの原因を遠ざけるとか
まぁ
好きなことをすると楽しめない
楽しめないことをしていると不安になる
じゃあ楽しむためには?
楽しめないことの逆
嫌いなことをして苦しめば楽しくなるのでは。
というのが考えだ。
うーーん、書いていて歪んでるなーって思う。
歪んでないでいることなんて出来たのだろうか?
自分に正直に高専を選ばずに
大学院に進まずに
博士に行かずにすれば
こうならなかったのだろうか。
分からない。
高専を選ばなかったら大嫌いな先輩のいる高校に行くしかなかったし
大学院に行かなかったら世界最高の発光素子を作れなかったし
博士に行かなかったら刺激的な今を送れなかった。
…のかもしれない
分からない。