卒研発表会が終わりました

目次

卒業研究発表会が終わった.

本日,卒研発表会が終わりました.

しかし自分は何も終わった気がしていない.

というのも,実験計画が疎かで

研究成果としてはゴミを作っただけだからだ.

「私の能力不足で研究費をどぶに捨てました.すいません」

と懺悔しただけ.

悔しい.俺も胸を張って発表したかった.

理由は明確だ.書いていく.

自分の短所はつい最近に

周囲が編入勉強一色になった

一昨年の11月ぐらい.

思えばすでにこの時点で,違いがあったように思う.

出だしはいつも自分が早く,その場での発想力にも自信があった.

でも,誰よりも成果を出すのが遅かった.

成果が出なければ,如何にその他が素晴らしくても

誰も振り向いてはくれない.

そんな,当たり前なことに気づいたのは

実はつい数週間前.

縁あって,他高専の編入生と交流した際に

自分には成果がなく,自慢したい自分の長所を

胸を張って言えなかったのです.

当然編入試験も自分の定めた目標の演習まで

できず,不本意なまま行くしかなかった.

劣等を受けいれらなかった

自分はこの,明らかな劣等が受け入れられなかった.

受け入れたくなかった.

自分は北大に合格したのだ.あの北大に.

憧れの先輩方と同じ北大に!

短所などあってたまるか!

数週間前までは本気でそう思っていた.

・・・・・・醜いものだ.

過去の栄光に縋って現在の成長ができないでいる.

一歩手前で俯瞰すれば

どうにでもなったであろうに,

卒研がおじゃんになったのもよく分かる.

劣等を受け入れてから

私は悩んだ.

何が,成果を出すのが遅くなる理由なのか.

何がいけなくて,こんな思いをしているのか.

悩んだ,とっても悩んだ末に

私は自分の中に「長所信仰」が存在するのでは

という仮説を立てた.

長所信仰とは,私の造語であるが

長所をひたすら伸ばし続ければすべては解決しうる

という意味の単語である.

最善ではない編入対策,しかしもらった合格

自分の人生において,認知しうる成功体験は

北大入試と高専入試である.

そしてこの二つはほぼ運である.

前者は倍率割れ,後者はまぐれである.(高専入試についてはプロフィール参照)

従って,入試対策はあまり関与していない

はずなのに,我流を突き通した自分の入試対策を過度に信用.

上に書いた,長所信仰に陥ったと思われる.

短所は長所を殺してしまう

長所信仰が否定された今.

私の中には信仰の付則として以下の二つが定義されている.

・短所は長所のいい影響を減ずる効果があり,極力取り除くべきである

・短所は人間である以上必ず存在しうる

つまり

長所伸ばすのもいいけどさ,ちょっとは短所にも目かけてやろうぜ?

とこの二つは言っている.

この定義が自分の今後にどう作用するかは

知らない.

しかし,今の自分はこれが最善と

納得しているんだ.

これで行ってみようじゃないの.

ふっふっふ...楽しくなって参りました,,,

乞うご期待...

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コメント

  1. 岩松 より:

    卒検は大変なんだな〜

    単車とか長所とか、立場が違うしなんとも言えないけど、自分が納得できるようにやるのが一番だな。がんばれよぅ!